心ゆくまで崖っぷちで読む本

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【読書111】海嶺<上><下><中>

海嶺〈上〉」「海嶺〈中〉」「海嶺〈下〉」(三浦綾子/角川文庫)

  

 

天保三年(1982年)、尾張の国小野浦(愛知県の知多半島)から十四名の乗組員を乗せて出航した千石船宝順丸。

出航後間もなくの遠州灘で、激しい嵐に遭遇する。

船底に浸水する水をかき捨て、帆を落とし、生き延びた十四名であったが、嵐が過ぎ去った後の宝順丸は己の位置を完全に見失っていた。

 

帆もなく、己のいる場所も、変えるべき方向もわからず漂う宝順丸。時折訪れる嵐、脅かす水不足、そして壊血病。

一年二カ月の放浪をへて、奇跡的にアメリカ大陸に漂着したとき、生き残っていたのはわずか三名であった。

 

アメリカに漂着した音吉、久吉、岩松の三名は、現地先住民に捉えられ、全ての持ち物は没収され、先住民の奴隷にされる。

岩松がインディアンの別の部族に託した手紙がイギリス商社のハドソン湾会社の手に渡り、ハドソン湾会社の厚意によって三人は帰国の途につくことになった。

その後、滞在したアストリア砦で言葉を学んだ三人は、自分たちを先住民から救ってくれた人間たちがキリスト教徒であることに気付く。

 

その後、三人はイギリス軍艦イーグル号に乗り込み、アストリア砦を出て再び航海へ。

 

短い期間ではあるがロンドン滞在。

ステンドグラスも石造りの建物も、日本にはない目新しいものだった。

わずか数日間の滞在中に目にしたさまざまを胸に、三人はロンドンを出発し次の目的地マカオへ向かう。

 

マカオではドイツ人宣教師の家に世話になりながら、日本行の船を待つ。

この時、遭難からすでに四年が経過していた。

 

同じく薩摩から出向して遭難した四名の日本人との出会い。

 

途中、琉球に寄港した七名は、琉球の役人に「モリソン号を離れて、自分達の船で鹿児島へ行くよう」説得されたにもかかわらず、モリソン号事件での帰国を選ぶ。

彼らは、日本の船の脆弱性を痛いほど経験していたからだ。

 

だがしかし、浦賀。そして薩摩。祖国である日本から与えられたのは砲弾だった。

 

出航から遭難、アメリカ大陸漂着までを描く上巻。

アメリカ大陸漂着後、ロンドン到着までを描く中巻。

ロンドン滞在、マカオ滞在そして日本への帰還を描く下巻。

 

上巻~中巻が冒険譚であるのに対して、下巻は船から降りて現地の生活を受け入れていくさまが多く描かれており、人間ドラマの様相を呈している。

長編といっていい長さだが、飽きることなく、一気に読めた。

 

三人が当時の日本では迫害の対象であったキリスト教におびえながら、同じ人間として彼らの文化を受け入れ、やがて聖書の翻訳に四苦八苦する様子など、なかなか面白かった。