心ゆくまで崖っぷちで読む本

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【読書127】累犯障害者

累犯障害者」(山本譲司/新潮文庫)

 

知的障害、ろうあ者といった障害者をメインに罪を重ねる障害者と福祉行政が抱える問題を扱ったポタージュ。

犯罪者になってしまった側を扱っているので、現行の福祉行政の利点や効果より欠点が大きく取り上げられる内容になっている。

 

対面する者にとっては「障害者」であっても、被害を受けたものにとっては「加害者」であり、福祉行政に問題があるからと言って、犯罪を犯していい理由にも犯罪を犯した者が罪に問われない理由にもならない。

知的障害を持つ人々が犯罪を犯さずに生きられる社会がベストであろうけど、だからと言って、知的障害者の生きやすさを優先するあまり、健常者が泣き寝入りするような社会であっても困る。

 

現行の福祉行政では確かに問題があるのだろうけど、ではどのようにすれば現在発生している問題が改善するのだろうか。

金銭も労力も無尽蔵にあるわけじゃない。

折り合いをつけるべきポイントはどこなんだろうか。

なんとなく、福祉をきっちりやって、それでも罪を犯した場合は健常者と同じ裁きを、償った後には社会復帰できるようにまた十分な福祉を、というのが公平な気がするけど、健常者に対してでもうまくいっていないんだから相当難しいだろう。

 

知的障害を抱える以上、「知能指数としては子供の一緒」というのは事実なんだろうけど、肉体的には大人であるわけで、健常者の犯罪と知的障害の犯罪、被害者の心がそのどちらかによって軽やかになるなんてことはあり得ないだろう。

少年犯罪が成人の犯罪と別に扱われるのは、経験不足に伴う判断能力の無さと、改心/反省してその後の長い人生を生きていくことが期待されているからだと私は勝手に理解しているのだけど、知的障害者の犯罪ではその後の成長によって判断能力がちゃんとつく、というのはレアケースだろうし、改心/反省って言ったって、重度になると事実の把握ができているのかすら怪しい。

 

作中、軽くではあるが批難の対象となっている、ろうあ者に対する口語教育は、明らかに「健常者の中で自立して生活できるように」という善意からなされているように思える。

口語教育に重きを置くあまり、通常の教育がおろそかになり、結果として教育レベルが低くなってしまう。確かに問題ではあるが、では、健常者とのコミュニケーション手段を学ばずに、ろうあ者の中だけで、健常者とコミュニケーションを取らずに、生きて行くことができるのか?それはそれで難しいだろう。

実際に手話も使えないがために意思伝達の手段がなく、裁判を開くことすらできぬまま容疑者死亡となった例も紹介されており、他社とのコミュニケーション手段の確立が、社会生活を営む上でいかに重要かうかがえる。

 

「刑務所だけが、安住の地だった」と言い、身元引受人もいないため満期まで服役せざる得ない。服役が終わり住む場所もなく、再犯に至る。

同情の余地があるのは確かなんだろうけど…、それでも罪を犯さずに生きている障害者の方々もいる。

罪を犯してしまう者と、罪を犯さずに生きる者。その差はなんなんだろうか。

 

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