心ゆくまで崖っぷちで読む本

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【読書214】子供の「脳」は肌にある

子供の「脳」は肌にある」 (山口創/光文社新書)

 

このように考えてくると、「体」を豊かに育むことによつて、結果として豊かでしなやかな「心」が育つ。

そしてしなやかな感性をもつた「心」から、「頭」が発達するという順番になるだろう。(中略)本書では、感性豊かな「体」を育むための原点が「肌」への接触であるということを基本理念として、様々な角度からそれを述べていきたい。(23-24ページ)

これ本書の趣旨だろう。

心身の発達や精神安定性確保におけるスキンシップ、肌刺激の重要性を説いた一冊である。

 

皮膚にはさまざまな機能があるが、最大のものは内臓的役割である。(17ページ)

皮膚は内臓、というのはなんとなく新しい視点だった。外界と自己を隔てる膜でありながらそれ自体が内臓。

 

皮膚が内臓、という前提で、

このように、自分が体験したことから、これは嬉しかった、これは嫌だった、などということを、教訓的な物語にするという形で蓄えたもの、あるいはそれらがたくさん集まってもう少し大きな物語になったもの、それが「心」だというのである。心はさまざまな体験の結果として、あとから生じてくるものなのだ。(21ページ)

身体、すなわち臓器の経験をベースに心が作られる、という考え方は面白い。

 

ただ、文章や実験結果の紹介の仕方になんとなく作為的なものを感じてしまって、臨床研究の難しさ感じた。

データが足らないのに無理やり都合の良い結論に結びつけて物事を語っている感じ。

新書というメディアの都合上、一般向けにわかりやすくするために、細かなデータは省略する、というのはよくある手法ではあるのだけど、あまりに肌刺激の有用性を持ち上げすぎているのとあいまって、読み物レベルになってしまっているのが少し勿体無い。

 

気になった点を幾つか。

もともと知識というのは、まず目の前の具体的な事物に関する知識が身について、そこから抽象的な知識が発達していくものだ。スイスの心理学者、ピアジェ(一八九六―一九八〇)の観察では、七歳から十二歳くらいまでの時期は「具体的操作期」とよばれ、積み木などの目の前の具体的な事物の操作なしには、計算などの抽象的操作がうまくできない。(12ページ)

具体的操作期が思っていたよりも長いことに驚いた。小学生のうちはまだ、抽象操作は苦手であることになる。

小学校に入学したての頃、算数の授業に棒やら駒やら様々なお道具が登場した記憶があるが、あれは非常に理があることだったのか。

 

アイもクロエもパンも、出産しただけでは「母」にはなれなかったのである。赤ん坊の側から「しがみつく」「吸いつく」というはたらきかけと人間の介助があって、初めて「母性」が芽生えたのだ。松沢は、「子育ては種族繁栄の基本的な行為なのに、本能に組み込まれていない。それは、子育ては子どもの個性に柔軟に対応してやる必要があるから、あらかじめ決められた一つの

方法ではかえって不都合が生じるからかもしれない」と考えている。(41ページ)

天才チンパンジーアイの出産にまつわる話だが、子育てが本能に組み込まれていないとすると、野生状態でどのようにして子育てを獲得しているのだろうか。またこのような動物はチンパンジーだけなんだろうか。

チンパンジーですら最初はできない子育て。多少の不出来は仕方ないと己を慰める材料にしたい。

 

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