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【読書218】イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ

イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ」 (松谷浩尚/中公新書

 

イスタンブールに暮らした外国人の活動、関係から、当時のトルコの外交、内政状況に触れられた一冊で非常に勉強になった。

 

◾︎ナイチンゲール

ナイチンゲールがウスキュダルで行なった活動内容を見ると、その活動がかなり広範囲にわたっていたことがわかる。行政的な手腕も発揮するのである。(12ページ)

ナイチンゲールは良家の子女として生まれ、当時、卑しい職業とされていた看護婦としてクリミア戦争の負傷者の看護にあたるためイギリスからトルコに渡り、イスタンブールに診療所を設け運営した。

鶏頭図を発案した統計学の草分け的存在であり、イギリスに帰国後は看護学校を創設するなど公衆衛生の啓蒙活動を行った。彼女が近代看護の母と言われるゆえんである。

白衣の天使というイメージの強い彼女が、実際に何を行い、何によって評価されているのかを知る日本人は案外少ないのではないか。(恥ずかしながら私は知らなかった。)

現代の衛生的な病院というシステムが存在するのは彼女のおかげだと思うと、功績の大きさに頭がさがる。

 

◾︎シュリーマン

トルコ人の多くは伝統的にドイツに親近感を抱いている。(23ページ)

これは、実際にトルコをおずれた時にも感じたことである。激しいインフレで貨幣を外貨で持つことが常識だった時代に、一番人気だったのはドイツマルクだったと言う。

様々な歴史的背景もありトルコはかなりの親独国であり、ドイツ国内で問題となるほどトルコからドイツへの移民、出稼ぎは多い。

にもかかわらず、ドイツ人であったシュリーマンはトルコでは人気のない外国人の一人だという。それは何故か。

現在でも多くのトルコ人は、ドイツによって文化財が略奪されたという被害者意識を抱いているようだ。

(24ページ)

この被害者意識ゆえにトロイを発掘し、出土品をトルコ国外に流出させたシューリマンは、嫌われているということのようだ。

 

アンカラアナトリア文明博物館における「帰ってきた黄金のピアス」の展示をみた現地ガイドの苦虫を潰したような顔を思い出す。

一方でこういった文化財の持ち出しがドイツにおけるヒッタイト学の完成の原動力となっている。

 

◾︎ピエル・ロティ

シュリーマンがトルコ人から嫌われているドイツ人だとしたらロティはトルコ人から愛されるフランス人作家であるという。

アルメニア人虐殺事件などでヨーロッパにおいてトルコ・バッシングの風潮が高まったときもトルコを積極的に弁護するなど、ピエル・ロティの親トルコ的言動を評価していることにもよるが、そもそもその背景にフランス文化への憧れがトルコ人の深層心理にあるものと思われる。(55ページ)

第二次世界大戦以前のトルコで外国語といえばフランス語であり、今でもトルコ語の外来語にはフランス語由来の言葉が多いという。

 

◾︎乃木希典

日本人から。日露戦争における日本の勝利は、ロシアの侵略に苦しめられていたトルコ国民を驚喜させたという。

当時のトルコ人の中には、日露戦争の英雄にあやかって「ノギ」とか「トーゴー」という名前を自分の子供に付けたり、あるいは店名とする者もいた。(92ページ)

というのだから、トルコ国民の戦線への興味、日本勝利時の驚喜ぶりが伺える。

トルコの英雄ケマル・パシャへも影響を与えた可能性もある。

日本史的評価では、日本が全力であったのに対してロシアはやる気がなかったとか、この戦争によって日本が疲弊したとか言われる日露戦争だが、世界史的な意義、他国からの評価、他国への影響を知ると面白い。

 

◾︎ブルノ・タウト

第二次世界大戦時、ドイツから日本、そしてトルコへ亡命した建築家で桂離宮を世界に紹介したとして知られる。

トルコは古くオスマン帝国の時代から伝統的に難民や亡命者などの政治的″弱者″に対して寛容であったのは特筆に値する。(223ページ)

古くはレコンキスタによってイベリア半島を追い出されたユダヤ人、帝政ロシア時代には白系ロシア人、最近では中国ウィグル自治区からの亡命者や、クルド人

このように、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸の接点に位置するトルコは、周辺地域から多くの政治亡命者や難民を受け入れてきた。その背景には、政治的弱者に対して寛容さを示すことが「正義」であるというトルコ人の伝統的信念があるものと考えられる。(229ページ)

現地ガイドは「トルコ人という形はない」(目や肌、髪の色、体型が実に様々である)と言っていたが、亡命者に対する寛大な姿勢がまさしく人種の坩堝たるゆえんであろう。

ではこの寛大さは何から生まれたのか。

 

イスタンブール(コンスタンチノープル)はローマ帝国東ローマ帝国ビザンチン帝国と三つもの世界帝国の首都となった歴史のある街であり、現在のトルコがある地域には有史以来実にもの国が存在してきたという。

肥沃な黒墨土が広がる大地に入れ替わり立ち代わり君臨してきた王朝、宗教。

「トルコはトルコ語を話す民族による単一民族国家である」という主張と、「トルコ人は様々な民族から成る」という主張とが矛盾なく収まってしまう。

 

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