心ゆくまで崖っぷちで読む本

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【読書240】幻獣ムベンベを追え

「え―と、それでぼくたちは怪獣を探しに行こうと思ってます」(11ページ)

早稲田大学探検部。

毎年恒例の一泊MTGでの発言を発端として彼らの探検は始まった。

怪獣の正体はアフリカはコンゴ共和国のテレ湖に生息するといわれるUMA。通称コンゴドラゴン。現地語ではモケーレムベンベ。

 

なによりも、その実行力に驚かされる。彼らは基本的に探検部に所属しているというだけの、ただの大学生である。

その一介の大学生たちが、当時日本と国交はないアフリカのコンゴ共和国へ入国し、あまつさえコンゴ共和国奥地のテレ湖にキャンプを設営して33日間の調査を行う。

その準備として、フランスから資料を取り寄せ、国内でザイール人を見つけ出してリンガラ語を習得し、加えて彼らは企業とも交渉し、東京新聞の後援を得て各種企業からビデオカメラをはじめとする資材の協力を受けている。

その実行力の源が、

「こりゃ、おれたちが子供の頃あこがれていた怪獣探検そのものじゃないか」

「今だってあこがれているよ」(19ページ))

たったこれだけなのである。

 

さらりと書いてあるが、ノウハウがあったにしても、簡単にできることではない。

 

コンゴの首都からも遠く離れたジャングルの奥地ボア村には独特の風習があり、文化があり、信仰がある。

そして信仰の対象である湖の怪物ムベンベ。

ムベンベ探しには、ポーターの雇用やガイドの反乱、食糧の不足に、マラリア、群がる虫、多くの壁が立ちはだかる。しかもそれら壁は、場合によっては生命関わるのだ。

 

内容的には「ヤノマミ」に近いと感じた。

ただヤノマミにおいては前提が「観察しよう」であるのに対して本書では「ムベンベ探しの手段として、協力を仰がねばならなかったボア村の住民を観察した(観察せざるを得なかった)」ということだろうか。

1980年代当時、独自の風習をもち文化汚染にさらされていない民族というのは案外ありふれていた、と言えるかもしれない。

 

文化汚染はとても難しい問題である。

極論では数の概念がない文化に「それはいくつだったか?」と尋ねることが、文化汚染になりえる。

一方で、調査を経なければ、その文化に数の概念がないことなどわからないのだから、実に悩ましい。

本書でもムベンベが「ディノソー(フランス語で恐竜の意味)」と呼ばれ、ブロントサウルス風の再現図が描かれる場面が出てくる。

 

本書から離れて調べてみると、モケーレムベンベの伝説はアフリカ中央部、赤道直下の熱帯雨林地帯に広く分布するものらしい。

[参考 wiki] モケーレ・ムベンベ

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/モケーレ・ムベンベ

 

お祭りのように日常から非日常が始まり、非日常が日常になって停滞し、そして最後に非日常からまた日常に戻ってくる。

こういった流れは「たか号漂流」を思い起こさせた。

 

血湧き肉躍る冒険譚とは異なるが、多くの労力を割いても結果の出ない探検は、無駄だろうか?

荒唐無稽な目的であっても、そして労力を積み重ねれば、得られるものが確かにある。

もし本書を中学生くらいの頃に読んだら、また別の人生があったかもしれない。

 

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