心ゆくまで崖っぷちで読む本

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【読書328】カルトの村で生まれました。

Kindle本。めずらしく漫画。 

カルト村で生まれました。

カルト村で生まれました。

 

 カルトの村…、ある宗教団体のコミュニティーの中で生まれ育った筆者によるコミックエッセイが本書である。
具体名については、あくまで「カルト団体」とされ、その団体が何であったのかについては明言されていない。おそらくは「ヤマギシ会」と呼ばれる団体に属していたのだろうと思う。

ヤマギシ会は「私意尊重公意行」をスローガンに共同生活を送るコミュニティを形成する、一種の宗教団体とされている。名目上は「農業組合法人」となっており、有機農法や養鶏、農産加工品の移動販売・ネット販売などがその収入源といわれている。
私財を所有することは認められていないため、入会の際にはすべての私財を団体に寄付することが求められる。

センセーショナルな内容といっていいのかわからない。
体罰、過度の行動制限をはじめとする児童虐待への言及があるものの、その記述はどこかのどかで、「日本ではない別の国のはなし」といわれたら納得してしまいそうである。
国内にある異文化、少数民族、という括りの方が納得できるかもしれない。
自給自足で、貨幣を持たず、親と子が別々に暮らす風習のある異国。
そう感じさせるのは書き手の筆力のなせる技だろう。

子供たちにとっての不幸の一つは、義務教育や一般のキャンプによって、「現代社会」を知ってしまう、という点にある。
知ってしまえば有機野菜よりもカップラーメンの方がおいしいし、朝ごはんがあればお腹がすかないし、保護者と一緒に入れる時間は楽しい。
「引出しひとつ」と非常に限定的ではあるが「所有の権利」を与えられるのも、この現代社会との接点を完全にはなくせないためだろう。
「わたしのやった悪いこと」のエピソードでも見て取れるが、「共有」以外を知らないで育った子供は「自分のもの/他人のもの」といった区別があいまいになる。

一方で、現在の立場からのコメントが気になる。私には「彼女の現在」が、ヤマギシズムの実践者に思えてならない。無所有、つまりは物質に執着を持たず、自家製の味噌や漬物を作り生活する。
組織が巨大化し膠着化していく前、あるいは入会を決めた賛同者が当初、理想としたのは、そのような生き方であったのではないかと思う。
しかし、「カルトの村」という異文化の中で育ちながら、現代社会で折り合いのつく生き方、が存在しえたのは、筆者の資質によるものも大きく、この「カルト団体」が行なっている教育方針を肯定する理由にはなりえない。

心配してくださったような身の危険など一つもなく、村の話が好奇心で楽しめる時代になったのだなぁと、のんきに喜んでいます。(高田かやの作家ページ|コミックエッセイルーム|CREA WEB)

彼女のこの言葉に甘えるが、ぜひ彼女の目線で、もっと知りたいと思った。
何を感じたのか。なぜ、村を出ようと思ったのか。両親や周囲の人間の反応はどうであったのか。


余談だが、角田光代さんの「八日目の蝉」という小説の中にも、ヤマギシ会をモデルとしていると思われる宗教コミュニティが登場する。

本書で語られる「カルトの村」での生活はそのイメージと非常に近いので興味がある方は是非。

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

 

 ヤマギシ会の実践地が三重県にある。
私は遠目に「あそこがそうなのか」という世間話をした程度だが、愛知県出身の友人に聞くと、「時々ヤマギシ会の移動販売が来てたよ」という。