【読書337】喉の奥なら傷ついてもばれない
図書館本で宮木あや子さん。
機能不全家族で育った少女が大人になった時、彼女たちはいったいどんな夫を選び、どんな家庭を築くのだろうか。
宮木あや子さんというと、連作集のイメージが強いのだが本書は短編集である。
ある者は虐待の連鎖の真っ只中におり、またあるものは「特別」を求めて不倫に手を染め、またある者は遺産目当ての結婚をしながら清楚で可憐な少女に恋をする…。
誰かのせいにすること、何かのせいにすることはとても簡単だ。
不幸な出自であること、普通とは違う家庭で育ったこと。だから仕方ない。
不幸や苦しみが目の前から遠のいても、慣れた不幸の中にいることで安心を得る。ゆえに、無意識のうちに同じ不幸の中に身を置こうとする。俗に「連鎖」といわれる輪の中に囚われた女性たち。
自己認識として不幸である以上、その人は不幸なのだと思う。そこに他人からの評価は関係ない。
「自分は不幸である」というのは実に甘美な自己認識だ。
そして家族とは、身近である分だけ、攻撃の対象にも、被害意識の原因にもなりやすい。
彼女たちに対して思うのは「あなたのその苦しみは、ほかの誰かが苦しまなければならない理由にはならない。」ということである。
愛情と呼ばれる檻につながれている人へ
本書は「不幸」な彼女たちへ向けて始まり、
その檻、意外と脆いかもしれないよ
彼女たちの「不幸」を愚かしいとあざ笑うかのような文で結ばれる。
抜け出すのは簡単。だけど抜け出した先は、はたして、今より良いと言えるのだろうか。
「不幸」でなくなった彼女たちは、「不幸」な時よりも苦しいかもしれない。
それは、はたして「幸せ」なのか?
抜け出すことを「善」とするのは、外野の独善的な価値観に過ぎない。
一方で、無自覚な彼女たちに被害を受けるもの…、たとえば虐待の被害を受ける子供が一人減るのであれば、彼女たちが檻から抜け出すことは、意味を持つ。
連鎖が止まること。そして新たな連鎖が生まれること。
自業自得で不幸の中に浸る者は別として、望まなくとも関わらざる者たちにとって、あたたかな笑みのある世界であればと思う。
題材も内容もなんとなく角田光代さん的であるが、故に、物足らなさを感じる。
作家名から、連作を期待して読んでしまった、ということもあるかもしれない。
宮木さんの作品では「雨の塔」が好きです。