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【読書260】 そして、奇跡は起こった! シャクルトン隊、全員生還

 

求む男子。至難の旅。

僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。

成功の暁には名誉と賞賛を得る。アーネスト・シャクルトン(Wikipedia)

 

シャクルトン率いる帝国南極横断探検隊が南極へと向けてイギリスを旅立ったのは1914年8月8日、今からちょうど100年前のことである。

メンバーは医師や船大工、学者、コック、それに一名の密航者を含む総勢28名。

1911年にアムンセン隊が南極点に到達し、南極点を目指す国際レースに終止符が打たれた直後だった。

 

シャクルトン隊の偉業、それは南極点到達や南極の横断ではない。南極海で船を失うという絶体絶命な状況に陥りながらも、全員生還を果たしたことにある。

同じくイギリスのフランクリン隊が北極圏で129名全滅したのとは対照的だ。

 

本書はシャクルトンが残した手記や船員たちの日記をベースとしたノンフィクションである。

どうやらヤングアダルトを対象に書かれたようだが、大人が読んでも十分に面白い。

 

南極横断を目的として南極大陸へ向かったものの、途中、浮氷にとらわれて、雪解けを待つものの、やがては船を失ってしまう。

浮氷には捕まった後も、実際に船を失うまでの調子は非常に明るい。ゲームや運動に興じ、訓練をし、動物を愛玩し、残された写真もどこか笑顔が目立つ。

(そう、本隊には写真家が同行していたため多くの写真が残されている。コウテイペンギンのヒナを両脇に抱えて微笑むヒューバート航海長、氷に破壊された船、物資を引く隊員たち、そして船の残骸…。)

 

そういった意味でも、浮氷に閉じ込められた1915年1月15日からではなく、船を失った1915年10月27日から救出される1916年8月30日までの10ヶ月が真の遭難潭と言える。

 

船を失ってから、漂流が始まった。ある時は、流氷にのったまま流され、ある時は島へ向かって一心不乱に海を渡った。

 

遭難することで、遭難した場所に関わらず直面する一番の問題は、やはり食糧、飲み水であろう。

遭難時点で物資がふんだんにあったことと、燃料となるアザラシの油があり、食糧となるペンギンやアザラシがいたこと。氷から水を得ることができたこと。このことは間違いなくシャクルトン隊全員生還という奇跡の一因となったと思われる。

 

続いて、閉所症候群。

進むことも戻ることもままならず停滞する中で絶望感が巻き起こる。極限状態であるほど、隊全体の士気が、生存率に直結したと想像する。隊長であるシャクルトン自身、恐怖に魘されている描写がある。

それでも本書を読む限りでは、あまり絶望は感じられない。

隊長であり、ボスと慕われたシャクルトンの人柄故かもしれない。

 

さらに彼らを苦しめたのは水である。極寒の南極にあって水に苦しめられるのは意外な感じがするかもしれない。

しかし生物がいれば体温で氷は溶けて、燃料を使えば氷は溶ける。

流氷上にキャンプをはっていれば、床は溶けて、海を渡れば波飛沫が彼らを濡らす。衣類や寝袋は乾くことなく、湿っているどころかびしょ濡れである。手や足はふやけて、凍傷になってしまう。

しかし、耐える以外に手段はないのだ。

 

脱出をかけた一つ一つの判断を正しく行い、一つ一つの行程を確実にこなして行ったのだとしても、全員の生還は、もはや、奇跡以外の言葉が無い。

 

***

 

現代の南極越冬を描いた「面白南極料理人」では、基地での越冬の様子がコミカルに描かれてはいたが、背景にはやはり閉所症候群があるのかもしれない。死への恐怖は段違いに減っても現状への閉塞感は現代でも同じだろう。それ故に、務めて明るく振る舞う。空元気に近い。

 

■極地探検物

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おろしや国酔夢譚

たった一人の生還― 「たか号」漂流二十七日間の闘い

 

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