心ゆくまで崖っぷちで読む本

中小企業診断士(登録予定)の読書ブログ

【読書376】地底旅行

ジュール・ヴェルヌ

地底旅行 (創元SF文庫)

地底旅行 (創元SF文庫)

子供とアマプラで「センター・オブ・ジ・アース (字幕版)」をみた後に読み始めたジュール・ベルヌ。 いつのまにか読むのをやめていたので、「宝島」を読了した勢いで再開。今年の夏は冒険小説・SF強化月間である。

ヴェルヌ作品は何作か読んでいるけど、本作は初読。子供向けの簡易版(あるのか分からないけど)ですら読んだことがない。

リーデンブロック教授とその甥のアクセルが、アイスランド人の猟師ハンスを従者に火山口から地底世界を目指す、割りとシンプルな洞窟探検ストーリーである。

語り手は甥のアクセルで、リーデンブロック教授について折に触れ、変人のようだとか頑固者のように語るのだけど、このアクセル、そもそもかなりの臆病者で内弁慶である。 出発前も怖気付いてぐじぐじと悩み、婚約者に応援され、教授の勢いに推されて出発するも上手くいかないといいなぁと、ネガティブな希望を語る。明日はもう火山口という段になって臆病風にふかれだす。折にふれ教授に帰ろうと言う。 このアクセルのチキンぷりがリーデンブロック教授の豪傑っぷりを引き立てる。

リーデンブロック教授にはいくつか名言と思われるセリフがある。

「いいかね、科学というものは、誤りからできているものなんだよ。といっても、それはおかしてもいい誤りなのさ。そうした誤りのおかげで徐々に真理に導かれるのだからな」

かつて天動説と地動説が入れ替わったように、地球の内部が熱いマントルなどではなく空洞で、しかも海がありとうに絶滅したと思われていた生物が繁殖しているとしたら? 現代科学においても、先日までの主流の学説が研究結果一つで覆ったりするのである。技術の同義的良し悪しも、時代によって簡単に変わる。 誤り(現代風に言うなら「仮説」だろう)を繰り返し精査し、事実を積み重ねた先に始めて真理がある。

名言は教授だけではない。 地底探検への出発の地であるアイルランドにて、図書館の棚に全く文献がないことに言及され、博物の教師であるフリドリクソン氏は語る。

われわれは、書物というものは知識欲のさかんな人たちの目から遠く、鉄格子のかなたでかびくさくなってしまうものではなく、読者の目にふれて、ぼろぼろになるべきものと考えています。だから、それらの本も手から手へとわたり、ページをめくられ、なんども読みかえされ、一、二年後に、やっと書棚へもどってくることもしばしばなのです

これを公営図書館のあるべき姿の一つだと感じるのは、「物は使われてこそだ」という考えが根付いているからだろう。 ドイツを出発し、地底世界への入口のあるアイスランドへ。火山口から地底世界を経由して再びイタリアから地上へ、そして自宅のあるドイツに戻る旅行記の中の通過点。 後世の簡易版や本作にインスピレーションを得た作品群に見られるような、語り手の感情面としては確かに興奮しているが、どこか淡々と進み、一見すると平凡な旅行記然としているのが面白い。 ヴェルヌの有名作風の中で完全に未読なのは「月世界へ行く」「気球に乗って5週間」だ。後者はともかく、前者はいつか読みたくて、実はだいぶ前に紙で買ってある。 紙の本を全く読まなくなったので、Kindleで買い直すか迷うところ。

現代日本における洞窟探検の話としてはこんなのも↓。

洞窟オジさん

洞窟オジさん