【読書393】やさしいダンテ<神曲>
久々に歴史ぽいものを。 Kindle未読減らす年間中ではあるのだが、セールの誘惑には抗えない。
阿刀田さんは「新トロイア物語 (講談社文庫)」に続いて2冊目。
タイトルだけは有名だけど、私を含めて具体的な内容になるともやっとしている人が多いんじゃないだろうか。 地獄篇とかあって、イタリア文学、キリスト教文学の古典、ルネッサンスの息吹を感じる時代に書かれた文学作品。歴史の授業で習ったやつ。
〈神曲〉は〝地獄篇〟〝煉獄篇〟〝天国篇〟の三部から成り、冒頭は〝人生のなかばに達し、ふと気がつくと、私は、まともな道を外れて、暗い森の中に迷い込んでいた〟と綴られている。
主人公のダンテが地獄、煉獄、天国をローマの詩人ウェルギリウスを案内人に旅する一昼夜を描いた詩篇。全体で100の歌から成る超大作である。
現実の人物(当時)の生前の罪と罰、あるいは功績と死後の序列に触れながら、という構成。 旅の日を書いた日よりも前に設定することで、死者が予言をするというトリックが使われている。 なので、文中にも
〈神曲〉を読み進んでいくと、読者をして、 ─それって個人的な恨みじゃないの─ 客観的に評価しにくいケースも多い。(中略)ダンテの立場は〝崇高なる自己中心〟であり〈神曲〉をたどる限りあまり批判を加えたりしてはいけないのである。
とある通り、断罪はダンテの個人的な立場や考え、私怨に感じられる部分も多いが、
─だれが悪人で、だれが罰せられるべきか─ ダンテの判断と心情が地獄の風景に色濃く反映されているのは作品のモチーフであり自明のことと言ってよいだろう。
とのことである。
興味深かったのは下記部分。
〈神曲〉の中にいろいろな形でキリスト教以前のギリシャ神話が登場するのは、それがダンテの時代の常識であり、ギリシャへの回帰を標榜するルネッサンス精神の前触れであったのかもしれない。
教科書的にはキリスト教は一神教で他の神々は認めず、というイメージがあるが、実際は時代により地域により土着の神々への信仰は残っていたし、キリスト教自体も様々な宗派があり、一枚岩ではなかった。
異教徒は問答無用で地獄行きだが、キリスト生誕以前の死者も基本的に地獄行きという清々しさなので、多くの神々が地獄にいる。
地獄にはグラデーションがあり、ある種の探険小説のように進むが、光の世界は地獄のそれに比べて曖昧である。
ベアトリーチェの説明は、いろいろな神学を断片的に反映して一筋縄では行かない。旅の途上にあるダンテにもわかりにくいのか戸惑いが見え隠れしている。つまり、このくだりは(これから先にもしばしば見られるが)ダンテの心の中にある推論をベアトリーチェの口を借りて述べ、それを吟味し、より深い結論へと向かうプロセスと考えてよいだろう。〈神曲〉という作品そのものが、この目的を負っているのだ。
死者との会話を通じてダンテが神の矛盾に悩み、誰かがそれに答える又は自認を促すという構成は変わらないが、単純に地獄篇が一番面白い。
原書を読んでいないのだが、各所の書評から推測するに、所々が大胆に省略されており、現代日本人にも理解しやすくアレンジされている。 省略した部分は、省略した旨が書かれているが…、特に深追いしたいとは思えず。
原作を読むのはやはり大変そう。英語の易しいリトールドとかないだろうか?
阿刀田さんはずっと下記が読みたくて欲しいものリストに入れているのを思い出した。