【読書145】墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便
「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」(飯塚訓/講談社プラスアルファ文庫)
日本航空123便墜落事故の遺体回収後、故人の特定の現場を記したドキュメンタリー。
著者は当時群馬県警の警察官であり、身元確認班長として現場の指揮を執っていた飯塚訓さん。
おそらくは事実に忠実なんだと思う。それ故にグロテスクな描写、残酷な描写があるので、苦手な方は読まないほうがいいと思う。
旅客機の墜落事故ということで、事故原因の解明やその後の安全対策への影響、あるいは主眼を置いたものはTV・文書等で目にしたことがあったけど、遺体に主眼を置いたものを読むのは初めてだった。
本来、人命を救うための医療が、死者を特定するために用いられる特殊な現場で扱うのは、史上最悪の飛行機事故で、圧力と火災により変形、変質したかつて人だった肉片たちだ。
8月12日の盛夏という時期の悪さもあり、痛んでいく遺体が運び込まれた体育館には異臭が立ち込め、遺体にはウジが大きく成長する。
地獄絵図そのものの状況で、法医学、法歯学、持ち物、面談、時には消去法を駆使して、故人の身元を特定していく。
変形してしまった体を、亡くなってしまった四肢を、あるいは唯一見つかった指を、丁寧に人の形へ整える看護婦たち。
不眠不休で作業する医者や警察官らの体にも死臭がこびりつき、献身的に作業する彼らの中にも病んでいく者、追い詰められて行く者が出始める。
極限状態の中で起きる遺品の紛失事件。遺族の怒り。
遺族側にも日本人と欧州人の遺体に対する価値観、死生観の違いが顕著に表れる。
「彼は死後、天に帰った」といい遺体の帰還に重きを置かない彼らですら、「とても丁寧に扱っていただいた」と感謝する。
余りに凄惨すぎる死者。
現場にかかわったすべての人間が、立派に職務を全うできたわけではない。
嘔吐する者、米が食べられなくなるもの、現場に現れなくなるもの。
人間にはどうしても得手不得手、適正があって、やっぱり生理的にできることとできないことがある。
事故後のこの作業は、使命感を持って現場に関わった方々に良くも悪くも大きな影響を残したのだろう。
その中でも人生観を変えられ、出世なさった方々が紹介されているが、逆に心を病んでしまった方々も相当数いたのではないかと思う。
被害者、被害者遺族、身元特定班、日空社員…。正直、私はどの立場も経験したくはない。
どの立場でもつらい。