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【読書340】ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房

 

 故・水木しげる氏の妻、武良布枝さんの書かれたエッセイ。夫としての水木しげる氏、人としての水木しげる氏が垣間見れる。

水木さんは妖怪漫画家として、妖怪研究家として、時には妖怪そのものとして扱われてきた人物だ。
没した際は、「氏は妖怪そのものだから、肉体の死とは無関係に生き続けている」などと表されるのも多く目にした。

本書ではそんな水木氏の半生が、妻という立場から描かれている(NHKの朝の連続ドラマとしても映像化がなされたので、そちらで知っているのほうが多いのではないかと思う)。
とはいえ、布枝さんとの結婚は水木氏が39歳の時と言うから、前半生、幼少期や従軍のあった青年時代については多くは語られていない。
結婚後の紙芝居作家、貸本作家という極貧時代からブレイク、その後の後半生がメインである。

妻の目を通してみる水木しげる、武良茂は、単なる人である。
いや、水木しげると武良茂は別のもの、とも読める。
公人としての水木しげると私人としての武良茂。多忙を極め、思うようにオフタイムを確保できない中にあって、自己を二人に分離させることで、対応していたということなのかもしれない。

苦楽を共にする、という言葉があるが、共に出来る苦楽があれば、共に出来ない苦楽もある。
極貧の中にあっては、貧しい生活、作品を書くことの両方を共有できていても、ビジネスとして軌道に乗り、仕事量が増えれば、妻が作家としての水木氏に対して出来ることは減っていく。
しかも、仕事に掛かる時間が増えれば、私である時間、家族として共に居る時間も減っていくのである。

自分自身も子育てに時間をとられる中で、感じるのは喪失感か、疎外感か。ネガティブな感情であるのは間違いない。
裕福さと引き替えに、何かを失ってしまったと感じるのも無理はない。

しかし、読後にそれらのごたごたが、現在までのささいな過程に思えるのは、それらの危機を二人が乗り越えてきたからに他ならない。

氏は親兄弟や娘たちまでも自分の周りにとどめておくことを望んだという。
そこに、「水木しげる」という共同体を感じた。
自分自身であるはずの武良茂も、妻である布枝さんも、娘や親兄弟たちも飲み込んだ共同体の中で、氏はさながら妖怪たちの親分のように君臨する。

と、考えると、先に述べたような危機は二人が乗り越えたのではなく、二人とも「水木しげる」に取り込まれたように思えてきた。

やはり、「水木しげる」は妖怪そのものなのかもしれない。

 

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