心ゆくまで崖っぷちで読む本

中小企業診断士(登録予定)の読書ブログ

【読書432】長屋の神様

長屋の神様

長屋の神様

頼りない主人公が江戸の町で困りごとを解決していく、という定型ストーリー。 短編3話が収録されている。

神様であるにしてもスレておらず、とても人の気持ちのわからない祥太夫、本当は狛犬な犬の黒に、本当は獅子な猫の寅は、祠の取り壊しを防ぐため、みんなの願いを叶えようと奔走する。

おっとりとして楽天的で、なんとかしようととりあえず動いてみる派の祥太夫は、たしかにそれじゃぁ、あまりご利益出せないよな、というキャラクターだ。

多少の神力は使うけど、別に主人公が人間でもどうにかなりそうな場面ばかりだし、黒も寅も、人語を解する以外に強い特殊を発揮するわけじゃない。

神様としては確かに落ちこぼれ(ご利益がでない)だろう。

では、祥太夫を人としてみると、見目美しく狩衣に京言葉という特徴はともかく、なんとなく浮世離れしていて、やや話が噛み合わない、雰囲気を読まずに実行して結果にとまどうなど、実にボンクラ。

彼の兄姉は彼が心配で可愛くて仕方がなかったであろうことが、想像に難くない。 読み手としても同じような気持ちになれれば楽しめる。

2話は、その解決方法はちょっと違うんでは?と疑問を感じなくもないもだが、逆にそれが、神と人では異なる論理の中に在ることを象徴しているようで、良い雰囲気なのである。

あまり毒がなく、あっても「まぁ、神様だし仕方ないよね」と流してゆるく楽しめた。 疲れてる時はこういうの読みたくなる。

ところで、

「……あの尻」 「へ?」 見るとどうやら千蔵は、ドブ板を踏んで歩いていく自分の女房の尻のあたりを、しみじみ眺めているらしい。 「どうしてまあ、ああやってドデッと横にでけえのかねえ。あのでっけえ臼みてえな尻に敷かれてんのかと思うと、俺ゃもう切なくて切なくて、いっそ駕籠かきなんぞ辞めちまって、ふいっとどっかに消えちまいてえようだぜ」 「あはは。千蔵はん、そら言い過ぎや」 そんな亭主の悪口雑言にも気づかずに、お滝は自分の長屋の前まで行き着くと、入り口に干しっ放しにしてあった笊や手桶を拾おうと、こちらに尻を突き出してくる。 「あーあ。どっかにこう、『触れなば落ちん』ってな風情の柳腰のいい女はいねえもんかな。そういうのが女房なら、俺だって、ちったァ稼ぎ甲斐ってもんがあんのによォ」

この文章で、ようやく柳腰の意味が分かった感じがした。

この手の小説でとりあえず思い浮かんだのは「しゃばけ」なんだけど、あちらはもう少し謎解きやサスペンスの色があった気がする。