心ゆくまで崖っぷちで読む本

中小企業診断士(登録予定)の読書ブログ

【読書420】古代オリエントの宗教

新年早々に手に取った本が意外と面白ゲラゲラ笑って読んだ。 もっと早く読むべきだった。

旧約聖書新約聖書の聖書ストーリーラインを軸に、古代オリエントに存在した各宗教を聖書ストーリーとの関連を軸に論じる一冊。 マンダ教、マーニー教、ゾロアスター教など各宗教が聖書ストーリーとの接触、影響を受けてどのように変化、取り込まれていったかを紹介する。

前半2つマンダ教とマーニー教が圧倒的に面白かった。

まずはマンダ教。

クルアーン』を否定するイスラーム教徒を想定し難いように、『旧約聖書』を否定するユダヤ教徒もありえない。この異端のユダヤ教徒たちは、さらに移動してメソポタミア南部の沼沢地帯に棲み着いた頃から、用いる言語も東アラム語に代わり、ユダヤ教徒としての自覚も失って、東アラム語で「叡智」を意味する「マンダーの教え人(マンダーイェー)」と名乗るようになった。

さらりと書いてあるし、歴史を紐解けば間々あることなのだろうが、すごい自己矛盾…。

ユダヤ教をスタートとしながらも、モーセよりもファラオに肩入れし、聖書ストーリーの唯一神を三流神、世界を三流神がうっかり作った悪のものと切り捨てる。

やりたい放題感すごいが、そもそもユダヤ教がスタートなのだ。作者にも

客観的に見れば、自分たちの先祖を迫害した(とされる)人びとを正義と断言するとは、マンダ教徒たちは倒錯の極みとも思える。

と突っ込まれている。

続いてマーニー教。

こちらはイエスを分解しまくる宗教だったようで、

エスに対する思索が深められ、『新約聖書』に描かれた「地上のイエス」の背後に、「天上界の輝けるイエス」「十字架上の受難で苦しむイエス」「審判の日に降臨する裁きのイエス」「月としてのイエス」などをつぎつぎに想定し、とどのつまりは何人のイエスが存在するのか、マーニー教徒でさえ戸惑うほどのレベルにまで重層的なイエス論を構築していった。 (中略) マーニーは、別々の役割を担っている神話の主要登場人物に、イエスの名をつぎつぎに当てはめていくのである。何故、別々の役割に対して一律にイエスの名前を奉らねばならないのかは不明だが、マーニーには「聖なるものは押し並べてイエス由来であるべきだ」というキリスト教風の確固たる信念があったらしい。

聖なるものは押し並べてイエス由来であるべきだ、ってすごいパワーワードだ。

挙句、真のキリスト教を名乗って布教している。強い。

語り口が軽くて読みやすいし、要所要所を図表でまとめてあって、理解しやすい。 同じ作者の書籍を購入しようか検討していたんだけど、SNSで批判されているのを発見してしまった。

専門家でもないし、読み物と割り切って買えばいいんだけどねー。

insolble.hatenablog.jp